11月20日に開幕するカタールワールドカップ2022の予選リーグで日本代表と対戦することになるドイツ代表。現在、ドイツ代表を監督として率いているのが、ハンジフリック監督です。
日本代表の森保監督やスペイン代表のルイス・エンリケ監督と違って、選手としてフル代表の経験のないハンジフリック監督は、どのような経歴でドイツ代表監督に辿り着いたのか、戦術や戦績、ドイツでもプレーしている浅野琢磨選手のエピソードをまとめてみました。



ハンジフリックはドイツ代表サッカー監督
ハンジフリック氏は、1965年2月24日生まれで現在57歳の監督としては中堅と言われる年齢です。ドイツ代表監督であるハンスフリック監督が、どのような経歴で選手や指導者として歩んできたのか、簡単にまとめてみました。
選手時代
現役時代はMFとして、U-18ドイツ代表に選ばれるほど将来有望な選手でした。1985年に20歳の若さで名門バイエルン・ミュンヘンに移籍すると、その後5年間で104試合に出場し、5得点をあげるなどの活躍をしていたようです。
その後、ケルンへ移籍しましたが、ケガの影響もあり、活躍できずに退団し、選手としてのキャリアは故郷の小さいクラブのヴィクトリア・パンメンタールで終えました。
ケガの影響で、全盛期に活躍できず、ドイツ代表に選ばれることはありませんでしたが、若い頃は、将来ドイツ代表の中心を担う若手として注目されていたようです。
指導者としての経歴
ハンズフリック氏の指導者としてのキャリアのスタートは、1996年、当時所属していたヴィクトリア・パンメンタールで、最初は選手兼任監督として始まりました。チームはドイツリーグ4部に所属していましたが、監督を務めていた1999年には降格を余儀なくされ、翌年の2000年まではクラブの監督を務めていました。
2000年7月に4部のホッフェンハイムの監督に就任すると、その年にリーグ優勝を経験し、チームを3部へと昇格させました。
その後は、チームの2部昇格を目標に監督を続けましたが、3部中位をキープする成績が続き、2005年に契約満了に伴い、退任することになりました。
そして、オーストリアの強豪ザルツブルクで、トラパットーニ監督やローター・マテウスヘッドコーチを補佐するアシスタントコーチに就任し、若手の発掘、育成に携わり、その手腕が評価され、2006年からドイツ代表のアシスタントコーチに就任、2014年ブラジルワールドカップ優勝に貢献したようです。
その後、現場を離れ、ドイツサッカー連盟のSD(スポーツディレクター)を務めていましたが、2019年、古巣バイエルン・ミュンヘンのアシスタントコーチに就任、その後、当時監督を務めていたニコ・コバチ氏が監督を解任されると、暫定的に15年ぶりの監督業に復帰しました。
暫定監督でしたが、そのシーズンを立て直し続け、延長に延長を重ねて正式に監督になるという、異例のシーズンを過ごして監督としての実績を積んだようです。
このまま2020年ー2021年シーズンも順調に監督業を務めていくと思われましたが、ビッグクラブの宿命というべきか、クラブ幹部と選手の起用法で対立し始め、その後、ドイツ代表監督打診に興味を示したため、クラブとの確執が強まり、このシーズンでの退任が決まりました。
2021年5月25日、EURO2020終了後の代表監督に就任することが正式に発表され、現在も監督を務めています。
ドイツ代表での指導歴
2006年、ザルツブルクでの若手発掘と育成の手腕が認められてドイツ代表のアシスタントコーチに就任しました。2014年ワールドカップまで、当時監督を務めていたレーヴ氏の右腕として活動し、トーマス・ミュラーやマリオ・ゲッツェなどの若手を発掘し、中心選手として育て上げ、ワールドカップ優勝を果たしました。
2014年以降は長らく現場を離れていましたが、2019年に現場復帰した後、2021年、EURO2020でのベスト16敗退をきっかけに、低迷するドイツ代表を、ワールドカップまでに立て直す役割を担ってドイツ代表監督に就任しました。
フリック監督の戦術
時代と共に大きく変化していく戦術という面で、フリック監督は2019年ー2020年のシーズン、バイエルン・ミュンヘンを率いて、大きな変革をもたらしたと言っても過言ではありません。
フリック監督がバイエルン・ミュンヘン時代に徹底していたのが中央を回避し、徹底したサイド攻撃を行い、中央はクロスやこぼれ球に詰めるだけ、逆に守備の時は、中央からのハイプレスによるボール奪取を徹底する戦術を用いり、不振だったチームを国内外3冠を獲得するだけのチームへと立て直しました。
この戦術は、中央に有力選手を多く抱えるメガクラブを相手にするクラブが多く使用する戦術ですが、それをメガクラブであるバイエルン・ミュンヘンが行うと、質がより一層高くなり、後方からのビルドアップも重視しているため、少ないタッチ数で前線まで質の良いパスが供給されるようになり、数多くのチャンスを作り出すことが出来るのです。
また、守備の時には中央の選手は、いち早くプレスを掛けに行ける体制が整っていますので、相手のカウンターを防げると同時にハイプレスからボール奪取をして、逆にショートカウンターを仕掛けられるという、攻守において隙のない戦術です。
これはフリック監督がバイエルン・ミュンヘン時代の戦術なので、ドイツ代表では、どのようなになるのかは不明ですが、代表チームには、バイエルン・ミュンヘンの選手が多数選ばれることが予想されます。
ですので、監督の戦術に適応した戦い方が本番でも可能ですし、一流選手が多いので、戦術の落とし込みも容易にできるでしょう。
日本代表も最近はサイドからの攻撃が基本戦術となっていますので、対戦時にはサイドでの攻防が見どころの一つです。
フリック監督の戦績
フリック監督は、指導者のキャリアの前半はドイツの下部リーグの監督として過ごし、ドイツ代表などのアシスタントコーチを経て、2019年シーズン途中から2021年シーズン終了まで、名門バイエルン・ミュンヘンの監督を務めていました。
その後、これまでの実績を買われてドイツ代表の監督に就任したのです。ここでは、バイエルン・ミュンヘン時代とドイツ代表での驚異的な戦績を紹介します。
バイエルン・ミュンヘン時代
2019年ー2020年シーズン開幕当初はニコ・コバチ監督が指揮をとっていました。ですが、成績が伸び悩み解任されることになり、その後任として、当時アシスタントコーチを務めていたフリック氏が、暫定的に指揮を執ることになりましたが、就任2試合目のライバル・ドルトムント戦に4-0で勝利すると、暫定監督から正式に監督としてやっていくこととなりました。
それでも2019年いっぱいまでといわれていましたが、年内に行われた公式戦を6勝2分と無敗で終了したため、シーズン終了までの契約延長となりました。
この2019年ー2020年シーズンは、ブンデスリーガ優勝はもちろんの事、UEFAチャンピオンズリーグ優勝、ボカールカップ優勝、FIFAクラブワールドカップ優勝とタイトルを総なめにし、監督就任後、21試合で18勝という驚異的な数字を残しました。
2023年までの契約延長がされましたが、クラブとの確執により、2020年ー2021年シーズンでの退任が決定し、その後、ドイツ代表監督になったのです。
クラブ | 在任 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
バイエルン・ミュンヘン | 2019年11月~2021年5月 | 31 | 28 | 1 | 2 | 90.32% |
不振にあえいでいたチームを立て直し、戦力的に優位なチームでも、これだけの戦績を残せる監督は数が少なく、名将と呼ぶにふさわしい戦績を残しています。
ドイツ代表監督として
2018年ワールドカップグループリーグ敗退、EURO2020ベスト」16敗退と、レーヴ前監督の15年にわたる長期政権に限界を感じたドイツ代表は、EURO2022の後、レーヴ監督の下で長年アシスタントコーチを務め、クラブでも結果を残しているフリック氏に監督就任を依頼しました。
どの要請を受けたフリック氏は就任後、レーヴ監督時代に冷遇されていたベテラン選手と若手選手を融合させながら、予選を勝ち抜き、最低限のミッションであるワールドカップ出場を手にしました。成績も現在までに行われた代表戦では、8勝2分と無敗をキープしています。
国 | 在任 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
ドイツ代表 | 2021年6月~ | 10 | 8 | 2 | 0 | 80% |
このように本番まで無敗をキープする勢いのドイツ代表と日本代表は初戦を迎えなければなりません。
浅野拓磨の珍言と海外の反応
ハンジフリック氏に関しては、日本代表候補のボーフム所属浅野拓磨選手のエピソードが一時期、ドイツ国内で話題となりました。
珍事が起きたのは、ワールドカップ組み合わせ抽選会が終わった直後の、4月2日、ブンデスリーガ第28節、ボーフム対ホッフェンハイム戦が終わった後のインタビューの時でした。
この試合は浅野拓磨が2ゴールをあげる活躍を見せ、ボーフムが2-1で勝利しました。ホッフェンハイムは、フリックが昔、監督を務めていたチームでもあり、代表候補もいるようで、この試合を視察に来ていました。
2ゴールの活躍を見せた浅野拓磨選手は、試合後のインタビューで、アナウンサーに「ハンジ・フリックを知っているか?」と聞かれたのです。
前日に組み合わせで同じ組に入り、代表監督がたまたま視察に来ていたので、聞かれて当然の質問だとは思いますが、この質問に対し浅野拓磨選手は、「was ist das?(これは何ですか?)」と答えたというのが、ドイツ国内でとてつもない反響をよんだようです。
ハンジ・フリック氏の事を知らないだけではなく、人としても認識していなかった件は、世界でも驚きの声が寄せられています。
ドイツの新聞『キッカー』は「ホッフェンハイムに勝利した後のインタビューは少々奇妙なものだった。」と、なんともいえない微妙なニュアンスで伝え、このインタビューを見たドイツメディアが、こぞって浅野拓磨選手にインタビューを申し込むなど、たくさんの反響があったようです。
また、同じドイツで活躍している鎌田大地選手や遠藤航選手によると、ドイツ国内では流行語大賞のような扱いでしたと、この出来事の事を振り返っています。
まとめ
ここまで、ドイツ代表監督ハンジフリック氏について、調べて、まとめてきました。
将来有望の若手選手でしたが伸び悩み、監督業も始めた当初はそこまでの成績を残せなかったフリック氏がレーヴ氏の右腕として長年ドイツ代表を支え、その経験がその後の飛躍に繫がったのだと思いました。また、浅野拓磨選手のエピソードに関しましては、少々ビックリさせられますね!自分のプレーに集中するタイプとはいえ、長年、ドイツでプレーしている彼が、知らなかったことは意外です。
ハンジフリック氏は、戦術的にもサッカー界に大きな変革をもたらした人物であり、ドイツ代表監督として、日本代表を大いに苦しめることになるでしょう。



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